「あの子の笑った顔を見たいんです」Hちゃんは、重度の脳性まひ児と診断されていた。当時、一歳を超えていたと思うが、寝たきり状態であった。 脳性まひは、大きく分けてアテトーゼ型(不随意運動型)、痙直型(四肢変形になりやすい)などがあり、 そのほかにも失調型や混合型もある。 Hちゃんは、強いて言えば失調型なのかもしれなかったが、 なにしろ筋肉はグニャグニャで、自分で動くことはほとんどなく、 空腹時に悲しげな泣き声は発するけれど、 そのほかの不快を表現する力もないようだった。 首もすわっておらず、当然お座りなどもできないし、あやしても笑ったりはしない。 それでもお母さんは、首が座らずにグラグラする体を背中にくくりつけるようにして、 徒歩や自転車で通って来ていた。 私は、お母さんと一緒に医師やPTから指示された訓練メニューで、 手足を他動的に動かしたり、抱っこして体を揺らしながらあやしてみたりと、 試行錯誤してみたのだが、状態の改善はあまり見られなかった。 それでも、他動的に動かすことで、多少ふにゃふにゃだった筋肉が、 筋肉らしい張りを感じるようになってきたかなと思うようになった頃、 熱心だった母親がピタリと訓練室に来なくなってしまった。 しばらくして、心配になった私は家庭訪問をした。 母親は、最近ある新興宗教の集まりに通うようになったのだと、申し訳なさそうに言った。 聞けば、ずいぶんお金も払っているようだ。 私は、神仏頼みでこのような障害が改善するわけがないと思っているのだが、 藁をもすがるようにその信仰に頼ろうとする母親に、色々な危惧を言うことができず、 やっとの思いで、 「それでも、時々は顔を見せてください。他のみんなも待ってますし」と言った。 それに対して、母親は遠慮がちではあるがキッパリと答えた。 「先生、ごめんなさい。この子は訓練では良くならないって。 今の宗教の先生は、真剣に祈ったら絶対に良くなるからって言うの。 私は、歩けなくてもいい、話せなくてもいい、あの子の笑い顔が見たいんです。」 私は、全身をハンマーで殴られたようなショックを受け、 その衝撃から自ら逃げるように玄関を後にした。 その家に背を向けて歩きだした途端、私はこらえきれず号泣した。 何も言えなかった自分に対する情けなさ、母親の切ない思い、 無責任に「祈れば良くなる」という宗教に対する怒り、 そんな様々なものが全身を駆け巡り、嗚咽が止まらなかった。 今でも、こうやって書きながら当時の思いがよみがえってくる。 その後、彼女が訓練室に顔を見せることはなかった。 祈りの場に連れて行かれたあの子が、 せめて集まったみんなにかわいがってもらっていることを、私は祈るばかりであった。 その数年後、新聞の死亡欄にHちゃんの名前を見つけた。 私は迷ったけれど、葬儀には行かなかった。 どうしても行く気になれなかったのだ。 その宗教によって、母親とHちゃんは救われたのだろうか。 Hちゃんは、笑顔を母親に見せることができたのだろうか。 私は、彼女のことも含め、 多くの宗教が障害を持つ子の親に優しい言葉をかけて近寄っていくのを見聞きしている。 私は宗教を否定するものではないし、人間には宗教心は大切なものだとわかっているつもりだ。 それでも、私自身は特定の宗教には決して所属しないとある時期に決めた。 特に、強い勧誘や、金品を過剰に売ったりする宗教には、反射的に否定してしまう。 今の私であれば、当時のお母さんになんと言うだろう。 それでも、あの時のあのお母さんを説得できる自信もない私でもある。 2011年11月11日 |